◆アラサーリアル白書◆オトナ女子を生きる

20.30.40代女性のための情報サイト。体験を通じたリアルな情報だけをお届け中。ライター、エッセイストyuki.Fukuoka Japan.

ちきりんの親と子、それぞれの自立エントリに思う~祝 成人の日~

      2020/03/26

d371d875bfe045a68fc31e35bb386d7e_s

自立についての記事をちきりんさんが書いていて、アラサーの私が自分の「自立」について振り返ってみました。

 

親と子、それぞれの自立 – Chikirinの日記 (id:Chikirin / @InsideCHIKIRIN)

 

私は自立が遅かった・・

15212082700_f5d501e7a3_z

自分が大きな一歩だと思っている自立は一人暮らしを始めた28歳のときです。

 

それはある日突然の出来事でした。

 

それまでの話をしたいと思います。

 

 

「親の環境=自分の環境」だと実感した中学生時代・・

d8367915226688a3ae090f6251a13143_s

小学校卒業と共に両親は離婚し、母親に引き取られた私は母親の実家の田舎に引っ越しました。

 

私はその日からおばあちゃんに育ててもらうようことになったのです。

 

それまでずっと専業主婦だった母は経済力がなく、その選択しかなかったのです。

 

母は専業主婦から突然フルタイムの仕事を始めました。
最初は働いた経験が少ない母親には工場しか働くところがありませんでした。

 

しかし母は商業高校卒業で、年齢にしてはめずらしい「簿記一級」を取得していたために、その後経理の仕事をし、転々としながら正社員として働ける場所までこぎつけ、頑張って働きました。

 

私が毎日を過ごすようになった母親の実家には、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃんがいました。

 

 

離婚する前から母と2人で家で過ごすことが多かった1人っ子の私は、突然の大家族の環境に馴染めずにいました。

 

会話する事も、何か希望を聞かれることも、話すことも・・すべてが私にとっては「ここに居るべき人間としての振る舞い」を求められていると感じていたからです。

 

しかし、前提「この新しい家に住み、同居する家族の1員になる」ことは変えられない事実だという事を理解し、「親の歩く道=子の歩く道」と初めて理解した時期でした。

 

 

「自分の実力で進めない環境」を目の当たりにする高校時代・・

9c88e25a5315273851e8b9c523d4e224_s

中学生の間は、この新しい家で養ってもらうということが怖く、とにかく迷惑をかけないように、勉強も頑張って、良い子であることを徹底しなくてはならないと思っていました。

 

塾でも優秀なクラスに入り、必死で勉強していました。

 

塾に居続ければあまり家にいる時間が少なくなるというのも一つに理由でしたが・・。

 

しかし、自分の中ではうまく行くと思っていた高校進学で、私立高校に・・。

 

公立高校の受験は失敗したのです。

 

これが衝撃的な挫折でした。

 

今思えばそんなこともあるだろうと思うのですが、その頃の私にとってはどん底な気分だったのです。

 

今でもド田舎なその家の周りでは当時、「シングルマザーになって家に帰ってくるなんて近所に知れたら恥ずかしい」という時代でした。

 

「それなのにその娘は金がかかる金食い虫だ・・」なんて言われたらどうしよう!!と勝手な憶測被害妄想で日々を過ごしていました。

 

せめて他のことでは、ますます迷惑をかけてはならないと思いました。

 

高校生になって特別進学クラスで、それなりに頑張っていました。朝課外、夜課外と長い時間学校にいました。

 

でも、結局大学も私立大学に行くという何とも自分の実力のなさに驚きました。

 

自分の実力で勝負、選択ができ、その先を切り開けるのは、進路ぐらいだと思っていたのに、それすら叶わなかったというわけです。

 

 

私が大学に行くことができた理由・・

55dbbb266bd277ebc8a4287a8cb716b7_s

国立大学に進学できないことがわかった時、私立大学に進学せずに就職する道も考えたのですが、母は「大学にどうしても行って欲しい」と言いました。

 

母は、大学に行きたかったけど親の反対で行けなかった時期があり、さらに結婚しても「学歴がない」事で父の家族、親戚に嫌味を言われ、離婚後の就職も苦労をしているのです。だから、「絶対大学にはいっておいた方が良い・・」と言っていました。

 

そして、離婚の時に「父から大学進学資金としてもらったお金があるから、これは絶対行かせようと両親の願いだった」と聞かせてもらいました。

 

離婚する直前に、父は私たちに家を買い与えました。母娘2人の毎日の生活に何で大きな家なんていらないのに・・と思っていました。しかし、その半年後、離婚となるのです。おそらく父の計画的な流れだったと思いますが、結局その家に住むことはせず、売りました。そのお金を大学資金にしてもらったようです。

 

実家から通える大学しか受験していなかった私はそのまま実家から大学に通いました。

 

 

社会人になっても実家暮らし・・

e869f0b977a228d15a8fd56ca80637f6_s

それから就職をしました。そして実家から仕事場に通っていました。

 

就職をしてから毎日のように「実家をいつ出ようか」と考えていました。

 

しかし、なかなか決断できずに6年が過ぎました。

 

理由はその頃にはもう母と祖母しかその家にはいなかったからです。

 

私が中学生のときに祖父もひいおじいちゃんも亡くなりました。

 

それから今まで家の跡継ぎの話はなかったのに、急に「後継ぎがいないと家が絶えてしまう」という話が浮上し始めたのです。

 

母も一度は出て行った身でありながら出戻りの肩身の狭さに、私への期待もあったのでしょう。そんな古い家のお家事情をがわかったのは高校生になってから。

 

そして知ってしまった以上、「私が生きて来られたのはこの家のおかげ。」と思い、「まあ結婚するなら婿養子だな」となんとなく思っていました。

 

 

古い家は全て和室。
その昔母が使っていた部屋を私の部屋にし、置きたいものや欲しいものは欲しいと言い出せずに小学校から使っていた机と中学生の時に買ってもらったベッドのままの部屋で誰かを呼ぶこともないのでこだわりなくただそこに寝泊まりしてる意識でした。

 

休みの日は車を運転しておばあちゃんを買い物に連れて行き、スケジュールを確認しながら色々なところの送り迎え、近所の老人の送り迎えも珍しくないようになっていました。

 

 

このままだとずっと「誰かのせい」にしてしまう・・

3290194404_09e432af6f_z

本当は家を出て、自分の好きな雑貨に囲まれて暮らしてみたかった・・

朝まで飲んでタクシーで帰って風呂も入らずにバタンと寝てみたかった・・

一日中パジャマでゴロゴロ、カップラーメン食べて、食器も洗わずにダラダラ過ごしたかった・・

 

 

つまり、こう書いてみると、結局私は毎日

「この家のせい」

「親のせい」

「母は自分が助けなくてはならない」

と勝手に思い込んで、言いたいことを言わない選択をし、何か行動を起こすことを躊躇しつづけただけの甘い人間でしかなかったのです。

 

確かに家から、母からのプレッシャーはあったにせよ、その「決められた、望まれた道」から自立の道を歩むことができなかったのは自分に自立心が欠けていたからだと思います。

 

 

そこである28歳になる年の正月に突然ふと・・

279fa5ea3810dc8f0a939f0fd6751601_s

私、一人暮らしする!!!

と思いついたのです。

 

28歳まで実家にいたんだから、「嫁に行くときが出ていくときだろう」というのが当たり前にあった私が、今でも何故かはわからないのですが、突然決めたのです。

 

しかも、その時は彼氏もおらず、誰と同棲したいとか、その先に何か達成したいことがあったことでもなく・・。

 

ついでにお金が溜まっていたわけでも全くなかったのでよくその決断、生活ができたなと今でも不思議に思っています。

 

1つ言えるのは

 

圧倒的に何かを変えたかったんです。

 

自分自身に対して不満もたくさんあったし、「こうなればいいのに」「こうしたいのに」と言い続けている自分に無性に腹が立って「って言いながら今までずっと同じこと言ってるね」という声が聞えたのです。

 

そして「また今年1年そうやって言い続けて終わるんだろうね~」という挑発の言葉も。

 

そこで、「一人暮らししよう!」と思って、次の日の朝、母に「私一人暮らしする!」と言いました。

 

 

家を出る事に決めた大きな一歩・・

16d1ec332ac3058397d23f010f2ee157_s

すると母は

「そっか、今まで一緒に暮らしてくれてありがとう」

と言いました。

 

そこからはとんとん拍子に進んで、1か月後には一人暮らしがスタートしていました。

 

光熱費の種別も知らない、食費も把握してない、家事だってやったことないこの私が、「生きるって本当に大変!!」と思える経験をしました。

 

そして必要に迫られればなんだってできるようになることも知り、「あれもしたい、これもしたい!」の欲求が一人暮らしをするだけでほとんどなくなりました。

 

好きな部屋に住んでいるというだけでもう十分なのです。

 

「飲んで夜中にタクシーで帰って次の日は昼まで寝たい」とかそんなことは2回くらいすれば大して良いものでもないことに気づいたし。

 

次は結婚しようかな・・

woman-bed-female-attractive-bedroom-girl-people

ただ、開放感は私をこの上なく満たしていき、

「さあ、結婚しよう」

とこれまた突然思ったのです。

 

彼氏もいないのに。これまた次の年始に「私は電撃結婚をする!!」と周囲に何故か宣言をし、その次の年に結婚することに。もちろん、婿養子ではなく、私は嫁に行ったのです。

そこでも母が「もう、家のことは良いから。嫁に行きなさい。」言ったのです。

 

 

そしてアラサーになりました。

5ba8f2294498a9cafd786ac37ccae8ee_s

そうして今の私がいるわけです。

 

田舎が嫌いで、車じゃないと家から出れない環境は避けたくて公共機関が徒歩10分以内にある場所に住み、一軒家の寒さには耐えれずに賃貸マンションを選び、仕事を続け、娘を育てながら好きなことも少しずつ時間を見つけて行っています。

 

私は今、

「行動しないと何も変わらない。」

「行動したらすべてが変わる。」

と思っています。

 

引き寄せの法則や、夢が叶う方法など色々なものがありますが、どれもそのゴールへの1歩を踏み出す行動をすることで成り立っているのです。

 

その根源は「自立」にあると思います。やはり「自分で立つ」ことができた時から初めて自分の人生を歩めると思うのです。

 

私の言う自立とは

「親の金銭援助を受けなくなる」

です。

 

これで自分の発言が変わります。決定権が自分に一任されるからです。まさに「自分の生きる道だ」と言えるのです。家にいて、家賃も入れず生活費も支払ってもらい、収入はなく「自分の生きる道!」と主張をし、「口を出すな!」と言われても、その間は家賃を支払っている親の管理下の一員でしかないわけですから、何を言っているんだという話です。

 

私はこの一人暮らしをするまで、精神的に自立していることも母に隠していました。母の話を聞きながら、私はもうすでにその先の情報を知っていること、私だったら別の方法を選択をすること、お金をもう少しかければもっと便利なものが手に入ることを思いながらも、「母にはこれが良いんだろうな」とそのままにしていました。常に「それはとても良い選択をしたね」と心地よくいてもらうことを選択し続けていました。

 

 

本当に自立してほしかったのは母の方かもしれない

d (25)

しかし、一人暮らしをして私の家に来た母が「これはなに?」と色々なものに興味を示し、「会社の若い人がこんな話してたんだけど知ってる?」などとどんどん若くなっていきました。

 

カップラーメンを食べることが悪だ!と言わんばかりの母親がカップラーメンをお昼ご飯に食べているなんて知ったときは私の知っている「カップラーメン」ではない、と思ったくらい。

 

離婚して実家に出戻っているということを知られたくなかった母は地元の古い友人との連絡を避けていたのですが、今では毎月の会合や3か月に1度の旅行、さらに「字がうまくなりたい」と公文にも通いだました。

 

高級な食事処にも行っているようで、「○○ってお寿司屋さん行ったことある?」と私が行けないと思っていた寿司屋にすでに行っていたり、「みんなLINEしてるから私もそれをインストールしてほしい」と言われた時には私も一緒にインストールしてもらおう、と便乗するスピード感。

 

そんな母を見て、「母も解放されたってことか・・」と思いました。

 

私だけがその家にいるために何かを我慢していたわけでもなく、母も我慢をし、いろんな自分を抑えてきたんだと。そこに私を育てるお金や環境のために結局犠牲にしてきた「やりたかったこと」がたくさんあったことに気づいたのです。

 

さあ、今日は成人式。自分自身は本当は親が知っている以上に成長している。しかし、親も実はあなたが思っている以上に自由を満喫できる。お互いの存在に感謝しながら新しい1歩を踏み出せますように。

 

 

新成人のみなさん、おめでとうございます。

 

合わせてこちらの記事もご覧ください。

「Chikirinの日記」の育て方を読みました。

ちきりんさん紹介の電気ブランケット&毛布を3年愛用しています。

A8

 - 未分類